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ぢつと手を見る。諦めたことと選ばれたこと

【幸せをつくる無敵の言葉学】

 

現役国語教師&ラジオパーソナリティ・松本エリハです。

そろそろどこかに書いておかないと本気で忘れそうなので、

今日は私が22歳の頃のことを。

 

学生時代、

とにかく演劇を中心に全てを廻すような生活を続けた私は

「就活」というシステムを本気で知らなくて、

突然キャンパス内に現れたリクルートスーツの集団を

ものすごく珍しいもののように眺めていました。

 

いよいよ汗ばみ、暑い季節がやってくる。

のに、

黒の長袖のジャケット着てる!

ものすごい驚きですよ。

そうしないと誰かに罰せられるの?

てことは誰かが見張ってるの?

ていうかそもそも、その服装は何の決まりで決まってるの?

 

今、文字にするとメルヘンにも見える素朴な疑問を、

100%本気で抱いていました。(あんまり言わなくなっただけで今でも変わってませんけど)

 

このひとたち、何してるんだろうなー。

この黒い上下を着続ける人生って、何が起きるんだろうなー。

暑いときに長袖の上着を脱がないって、死ねって言われたら死ぬってことかなー。

 

そんなことを考えていたら、

ストレス性の急性胃腸炎で入院しました。(弱すぎ・爆)

 

入院は1週間ほどだったんですけど、

ただ腕に点滴を刺して、ベッドに寝ているだけ。

一週間寝たままでいると、脚の筋肉が驚くほど

そげる、というか弱弱しくなるんですよね。

日にも当たらず真っ白で、ひょろひょろした自分のふくらはぎを見て

どうしたものだろうかなあ、と

病室で思考が完全にフリーズしたことを覚えています。

 

そしたら。

入院中だったか、

退院して家でうろうろしてるときだったか、

ふと自分の手が目に入ったんですね。

5本の指を広げた、手のひら側から見た私の手。

そしたらね・・・

親指だけが、他の4本の指と

違う方向を向いてるんですよね。

なんかね、ものすごく納得したんですよ。

ああ、私はこの親指だなあ、って(笑)

普通にしてても、8割の人とは違うほうを向いてるんだなあ。

だから入院までしてフリーズしたんだなあ。

 

 

 

じゃあ、

しかたないなあ。

と、あきらめのような気持ちになって

世の中の多くの人が当たり前にしていることができない

という点に関しては放棄することにしました(笑)。

今は、もう少し

いろんな指がいろんな方向を向く時代になったようにも思いますが、

根本的には、さほど変わったとは思わないので

いわゆる「普通の生き方」が息苦しい人は、

自分は親指なのだ

と、ある意味あきらめることをお勧めします(健康のためにも)。

 

 

 

聖書だかなんだかに、

「身体のパーツでどこがえらいとか、どこのパーツは要らんとか、そういうことはないねん」

みたいなことが書かれてたような気がするのですが、

この感じを

時間をかけてでも己の身体にしっくりこさせることって

すごく重要だなあ、と思います。

 

 

 

 

自分は親指だなあ

と気づいたのはずいぶん前ですが、

・親指以外の人とけんかする

・親指以外の人を嫌いになる

・親指以外の人に「親指になろう」と誘う

・自分が親指であることを特別視する

これらはすべて、さほど必要でないこともわかってきました。

 

ただ、

自分が親指である(という例えを使って、自分を大切にする)ことを知る

これは本当にだいじなことです。

知っているだけで、ずいぶん助かります。

 

そして、

親指が違う方向を向いていることで、人は物をつかむことができる

という事実を知ってからは

親指である自分がむしろ誇らしく、ご機嫌ですらあるのです。


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